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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)14052号 判決 1991年7月18日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 土屋公献

同 高谷進

同 鶴田進

同 根木純子

被告 乙山太郎

右訴訟代理人弁護士 片村光雄

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項について仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主たる請求の金額を一〇億円とする外、主文第一項に同じ(遅延損害金の起算日は、訴状送達の日の翌日である。)

第二事案の概要

本件は、約三〇年に及ぶ内縁の不当破棄を理由に慰謝料請求がされた事案である。

一  (原告の主張)

1  昭和三〇年秋頃、原告(昭和七年九月一四日生)は、被告(明治四一年一二月四日生)との間に性的関係を結び、その頃、被告から妻との離婚が近いとして結婚の申込みを受け、これを承諾し、以来、東京都文京区《番地省略》において共同生活を始めた。

2  原告は、昭和三三年五月一日、一郎(同三四年四月二五日、被告による認知の届け出)を出産し、原告が同三二年頃に購入した肩書所地の土地及び同地上に被告の出捐で建てた建物において被告と共同生活を営んできた。

3  被告は、昭和五三年四月二八日、妻の春子と離婚したが、原告との婚姻について届け出をしない。

4  昭和六一年四月以降、被告は、それまで、定期的ではなかったが、毎回三〇万円程度の額に及んでいた原告への生活費の支払もしなくなった。

5  被告は、結婚を餌に原告を利用し、原告の一生を踏みにじったもので、被告の行為は、婚姻予約不履行又は内縁の不当破棄の不法行為に当たる。

6  被告の資産は、甲田株式会社、乙野株式会社、丙山株式会社、丁原株式会社及び戊原株式会社の各株式、土地、建物、タクシーのナンバー権、上場会社の株式、ゴルフ会員権、ヨットハーバー会員権、ヨット、乗用車等からなり、その額は五〇〇億円を下らない。

7  被告の資産状態を考慮すると、慰謝料額は、一〇億円が相当である。

二  (被告の主張)

1  原告主張の頃、被告が原告と性的関係を結んだこと、原告が一郎を出産し、被告が認知の届け出をしたこと、妻春子と離婚したこと及び離婚後原告との婚姻届け出をしないことは認める。

2  原告は、被告と知り合った頃、その叔父と性的関係を持ち、これから逃れるために被告との交際を求めたもので、当時、被告は、妻春子及び四人の子と平穏に暮らしており、原告と婚姻を約したことはない。

3  被告は、原告と知り合い、原告の現住所地の土地及び建物を購入し、原告親子の住居としたが、昭和三六年以降、原告との間に性的関係はない。

4  被告は、前同年以降も、一郎の養育費の趣旨で、原告宛に、月五〇万円から六〇万円までの額の金員を原告宛に送金し、また、一郎の学校入学時等には、別に五〇〇万円から六〇〇万円までの額の金員を送金してきた。

5  被告は、原告との関係が消滅した後、丙川夏子と知り合って交際を始め、同人との間には、昭和三七年五月に子を得た。

三  争点

1  原告と被告間の内縁関係の存否

2  重婚的内縁関係に対する法的保護の有無、範囲

3  内縁関係の不当破棄と認められる場合と慰謝料額

第三争点に対する判断

一  原告と被告との関係

1  原告(昭和七年九月一四日生)は、昭和二六年頃丙田県から上京して下宿し、速記学校に通学するなどしていた。原告は、祖母の死亡(同二八年)によって引き継いだ財産を処分して、同二九年頃、東京都丁田市所在の土地及び家屋を取得してこれに居住し、同都港区田町所在の戊田株式会社に、後同三〇年頃からは同社の丙原出張所に勤務していた。原告は、同年秋頃、同所に出入りしていた被告(明治四一年一二月四日生)の誘いに応じて箱根に赴き、同所において被告と性的関係を結ぶに至った。その後、原告は、丁田市の不動産を処分し、都内文京区の借家に移転し、後、肩書住所地に土地を求め、被告が出捐して建築した建物に居住してきた。

原告は、昭和三三年五月一日、一郎(同三四年四月二五日、被告による認知の届け出)を出産した(争いがない。)。

2  昭和三〇年当時、被告には、妻及び四人の男子(昭和一六年生、同一九年生、同二三年生及び同二五年生)がおり、被告は、小規模ながらタクシーによる旅客運送業を営む丁原株式会社を経営していた。

3  被告は、妻と離婚すると言って、原告に対して結婚の意思があることを明らかにして交際を求め、前記のように原告と性的関係を結ぶに至り、原告の妊娠後、写真館において原告と共に婚礼衣装を着けた写真を撮影したほか、原告の現住所地から出社し、原告の現住所地に帰宅するのを常とする生活をしていた。原告と被告は、以来、昭和六〇年頃までの間に、原告の肩書住所地に友人を招き、結婚の媒酌人を務めたり、原告の妹その他の結婚式に参列したりし、両名又は時にはその子一郎を伴って旅行するなどしており、原告の自宅内で撮影したものを含め、数多くの写真が撮影されている。また、被告は、母親の仏壇及び位牌を原告方に置いている。

4  原告との生活を初めて間もないころから、被告は、丙川夏子とも性的関係を生じ、昭和三七年五月、両者の間に二郎を得、同六二年二月に至って同人を認知した。被告は、丙川とも、多くの機会に旅行や催しに共に参加し、その際に数多くの写真が撮影されている。

5  被告は、昭和五三年、戸籍上の妻春子との協議離婚の届け出をしたが、その一〇年後(昭和六三年)に同人が死亡した時には、なお、同人を被告の妻として葬儀を行った。

6  被告は、昭和六一年頃、原告に対して従前支払ってきた生活費を支払わなくなり、原告と絶縁状態となった。

二  原告と被告との関係の評価

1  前項において認定した事実、殊に、原告が都内文京区及び同区内の肩書住所地に居住するようになって以来、被告も同所から出社するなど同所を生活の本拠としているものと認められ、その後も同様に生活を継続していたことをも考慮すると原告と被告との関係は、内縁関係に当たると認め得る。

2  被告は、昭和三〇年頃、原告と性的関係を生じたことは認めるものの、当時原告が薬物中毒であったなどと言って人格攻撃をするが、原告の薬物中毒を裏付けるに足りる証拠は、皆無である。

また、被告は、原告との関係は愛人関係で、原告と他の男性との交際等を理由に昭和三六年頃に終了し、被告が丙川夏子の下に去ったと言う。しかし、原告と他の男性との交際については、これを疑うに足りる証拠は皆無である(被告が名指す者は、同年頃には未だ大学にも入学しておらず、同人の高校卒業直後の昭和三六年四月以降に交際を始めたと仮定しても、被告の主張には無理がある。)。そして、昭和三八年頃以降においても、被告が原告の肩書所在地から出社していたこと(甲九により認める。)、被告と原告との子一郎を伴って万国博覧会(それが昭和四五年に開催されたことは公知の事実である。)に見物に行った時の写真が存在すること、昭和五七、八年頃にもなお、原告方で原告の友人と共に撮影した写真も存在することなどに鑑みると、性的関係はともかく、右当時においても、なお原告及びその子との親密な関係が継続していることが窺えるのであって、被告の主張は客観的事実にも反し、信じ難い。いずれにせよ、被告と丙川との関係が、原告側に存する原因により原告との関係終了後に生じたと認めるには足りない。

被告と丙川夏子との関係について、被告は、これを内縁関係に当たると主張するが、両者の間に子が生まれたこと以外には、被告の主張を裏付けるに足りる客観的証拠は見当たらない。特に、被告が両者の関係を裏付ける証拠として提出した写真について見るに、両者及び子を含めた団欒の様子を示すものが皆無に近いのに反して、原告の提出する写真には、これを示すものが数多くあることに照らすと、内縁と称するにふさわしいのは、丙川との関係よりも、原告との関係であることは、常識ある通常人であれば、誰も否定しないであろう(原告との間の内縁関係を否定する資料として、戸籍上の妻及び子との写真を提出するのであれば格別、性的関係のある妻以外の女性との間の写真を提出するのも、理解を超える考えに基づくものである。)。

原告との婚礼写真についても、被告は、珍しい扮装の写真を撮影する写真館において撮影したもので、婚礼写真を撮影したのではないかのごとくに言うが、冗談半分に婚礼衣装を着けて写真を撮影することは、常識を備えた者のすることではない。殊に、既に結婚していた被告にとってはともかく、初婚の女性である原告が厳粛な気持ちでこれを撮影したであろうことは推認に難くない。被告においても、このような写真を撮影することに同意した動機は、戸籍上の妻との婚姻関係が無いに等しいものであったか、原告との生活を始めるに当たってのけじめを付けようとしたか、又は、原告と共同生活を始める気はないものの、原告との性的関係を継続するため、原告を欺いてその意を迎える意図の下にしたのか、以上のいずれかであろう。

被告の知人らの提出した陳述書中には、丙川夏子が被告の内縁の妻に当たるとの記載が見られるが、いずれも、原告と被告との従前からの関係を承知した上で陳述書を作成したものかどうか疑わしく、具体的な事実を挙げて陳述書の作成者が丙川夏子をもって被告の内縁の妻に当たると述べるものではなく、また、最近の被告の意向を反映したものと解されないではないのであって、それらの者が丙川夏子を被告の内縁の妻に当たると評価していることのみでは、前記認定判断を左右するには足りない。

三  重婚的内縁関係と法的保護

1  右に認定したとおり、原告と被告とは内縁関係にあったものであるが、内縁関係を生じた昭和三〇年頃当時、被告には妻と子が四人いたのであり、原告との内縁関係は、いわゆる重婚的内縁関係に当たる。

前記認定のとおり、被告は、原告が肩書住所地に移転した後は、同所において原告と同居し、同所から出社するのが常態であった。また、妻春子が死亡する約半年前に原告及びその訴訟代理人弁護士土屋公献と面接し、被告との結婚に至った経緯、結婚後の経緯を述べたのを同弁護士が記録したところによれば、被告は、春子に対しても自ら求めて結婚したものの、一方で女性関係にはだらしのないところが窺われ、また、春子との離婚届けも、女性関係を整理する方便として押印を求め、押印を得るや時日を置かずに届け出をしていること、春子においても、原告と被告との関係を知る以前から、離婚を望んでいたものの、四人の子の養育費の負担等について被告の責任のある対応が得られないために離婚にまで至らなかったこと、春子と原告は、本来敵対する関係にあるが、春子においても、被告の女性関係の被害者の一人として原告に同情の念すら抱いていたことが認められる(春子と原告及び訴訟代理人弁護士との面会について、被告及びその長男は、陳述書等において、面会の事実が有り得る筈がないとの趣旨を述べるが、資格ある弁護士が特定の依頼者のために存在しない面会の記録を作成するような、犯罪ともなり得、又は職を失い兼ねない愚かな行為をしないことは常識に照らして明らかであり、また、記録された内容も、具体的で、春子本人でなければ知り得ない事実が見られ、被告や事実関係を知らない長男の感情的な反発によっては排除し得ないものを含むというべきである。)。

2  以上によれば、被告と春子との関係は、戸籍上は昭和五三年まで婚姻関係が継続していたものの、原告と被告が内縁関係に入るまでには、既に形骸化していたものと認めるのが相当である。

3  前記認定のとおり、被告は春子について妻として葬儀を施行しているが、離婚の届け出から一〇年後に死亡した者について妻として葬儀をした事実は、同人との婚姻が形骸化していたことを否定する事情とはならない。

4  重婚的内縁関係であっても、妻との婚姻が形骸化している場合には、内縁関係に相応の法的保護が与えられるべきであり、これを理由なく破棄することは、不法行為を構成する。

四  内縁関係の不当破棄による慰謝料額

1  原告と被告とが絶縁状態になったことは前記認定のとおりであり、原告がそれを望んだのではないことも弁論の全趣旨から明らかである。被告において、内縁関係を破棄した事情について具体的な主張もない本件においては、被告による内縁関係の破棄は不法行為を構成するものと解するほかない。

2  原告は、被告が五〇〇億円もの資産を有すると主張するが、被告が設立に関与した会社も多数に上るものの、今ではその株式等は子らに移転するなど、殆ど被告の手元に残っていないことが認められる。

しかしながら、一方で、被告が中小規模のタクシー会社の経営を基盤にしながら、正妻、原告及び丙川にも長期間にわたって生活費を支給してきたこと、その金額は、被告の自認するところによれば原告に対して毎月五〇万円から六〇万円まで(被告は、これを一郎の養育費として支給してきたと主張する。)であることに鑑み、妻及び丙川にもほぼ同額の金員を支給してきたものと認めうるのに加え、被告は、右の外に一郎の必要があるときには別に五〇〇万円から六〇〇万円の金員を支給してきたことをも自認している。また、被告は、一郎の必要に備えるために同人を従業員としてこれに給与を支給しているかのように取り扱い三〇〇〇万円にもなったものの、税務当局の指摘を受け、目的を達せられなかったとも言う。

3  以上のように、昭和三〇年以降、原告との生活の間に被告の資産がどのように増加したか及び被告の現有の資産額がいくらであるかを明確にはし得ないという外ない、殊に、中小規模のタクシー会社の経営によって、いかにして三人の女性とその子供を長期間にわたって養育し得たのか、税法上の大きな不思議と言わざるを得ない。

以上の次第で、本件における右認定の事情の下では、被告の資産をも考慮して慰謝料額を決定することはできないと言うほかなく、原告と被告が共に生活した期間が三〇年にも及ぶこと、内縁関係の破棄が専ら被告の意向でされ、原告に責められるべき事情があるとは窺えないことなど諸般の事情を考慮し、慰謝料額は、一〇〇〇万円をもって相当とするものと定める。

五  よって、被告は、原告に対し、慰謝料として一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和六三年一〇月二一日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。

(裁判官 江見弘武)

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